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毎夜barで起こる日々を綴っております人生はシェーカーの中で


by 今夜も乾杯

ウイスキーの歴史 「その2」

 15世紀末のスコットランドのウイスキーは、まだ蒸留しただけの無色透明、荒い風味のスピリッツであり、現在のような琥珀色に熟成した香味豊かな酒ではなかった。
ウイスキーの樽による貯蔵・熟成がいつ頃、どのようなきっかけで始まったのか、については、次のような密造にまつわる説が広く信じられてきた。




 1707年のイングランドによるスコットランド合併で大ブリテン王国が成立して以後、それまで、イングランドで行われていた、麦芽税を適用することにした、麦芽税の課税、500ガロン以下の小型蒸留器の禁止など、スコットランドのウイスキー蒸留業者に不利な施策が相次いで打ち出された。このとき、スコットランドのローランド地方に本拠を置いた規模の大きい蒸留業者は、大麦麦芽以外の穀物を原料に取り入れ、麦芽の使用を減らすことで対抗したが、ハイランドの零細な蒸留業者は、山や谷深く隠れ、密造を始めた。彼らは、作業のしやすさから大麦麦芽を使い続け、麦芽の乾燥には従来の天日乾燥ではなく、人目に付かない屋内で、ハイランド山中に無尽蔵にあるピート(草炭)を燃やして乾燥した。そして、蒸留したたウイスキーをシェリーの空樽に詰めて隠し、徴税使の目から逃れようとした。
この結果、ハイランドのウイスキーは、ピートのスモーキー・フレーバーを持つ琥珀色の口当たりの柔らかなスピリッツになった人々は、偶然にも樽貯蔵によるウイスキーの熟成効果を知ったのだ。
 ハイランドの有力者の娘であるエリザベス・グラウンドが書いた日記には「1882年ジョージスミスが樽で熟成させていたミルクのようにマイルドなウイスキーを、スコットランドを訪れたジョージ4世の求めに応じて献上した」とありいずれにしても、遅くとも19世紀初めには、ウイスキーの樽による熟成が行なわれており、一部の上流階級に珍重されていた、と考えられよう
エリザベスの日記に登場するジョージスミスは、1823年密造根絶のため小規模蒸留を認めたウイスキー法の施行で、免許所得第1号となったザ・グレンリベット蒸留所の創始者として知られる。この年以降、ハイランドの山中に隠れていたウイスキー蒸留業者(彼らはイングランド政府に抵抗した誇り高き密造者の意味でスマグラーと呼ばれた)が相次いで表舞台に、登場する。
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by yahooomahalo | 2005-10-02 22:21 | Comments(0)