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by カクテルとカレーの店

ウイスキーの歴史 「その5」

 カナダの本格的なウイスキーづくりは、アメリカの独立戦争後、移住してきた王党派(独立反対派)の人々によって、ケベックやモントリオールを中心とする地域で始めめられた。当初は、製粉業者が副業的に始めたが、しだいに専業の蒸留会社が設立され、19世紀後半には、アメカに輸出するまでになる。




 アメリカの禁酒法時代には、カナダから大量のウイスキーがアメリカに密輸されその量は、年間4万KLにも上がったという。カナダのウイスキーづくりは、アメリカ市場に依存する形で発展してきたが、現在では、世界各国への輸出にも力を入れている。
ウイスキーが日本に最初に伝えられたのは、1853年、ぺりー総督率いるアメリカ艦隊が浦賀沖に来航した年とされている。
 ウイスキーが最初に輸入されたのは、明治維新後の1871年のことである。
輸入元となったのは主として薬酒問屋で、欧米文化の香りを伝える洋酒のひとつとして輸入したのだが残念ながら消費は伸びず、明治末でも洋酒は酒類市場の1%にも達しなかった。国産ウイスキーの蒸留が始まるのは、関東大震災のあった1923年のことである。この年、京都郊外山崎峡で日本初のモルト・ウイスキー蒸留所、寿屋山崎工場(現在のサントリー山崎蒸留所)の建設が始まった。
 鳥井信治朗がこのサントリーの創設者である、スコットランドでウイスキーの製法を学んだ初めての日本人である竹鶴政孝を技師として招き、国産ウイスキーの開発に精力を傾けた。六年後の1929年山崎蒸留所で熟成したジャパニーズ・ウイスキー第1号のサントリー白札が誕生した。
以後東京醸造、ニッカなどがウイスキーの生産に乗り出し、第二次大戦後、オーシャン(現メルシャン)、東洋醸造(現旭化成)、キリンシーグラムなど多数の企業がウイスキー事業に参入した。
 第二次大戦後の日本では、開放された気分とアメリカ文化への関心もあって、若い世代にウイスキーが受け入れられた。全国に誕生したスタンドバーでは、国産ウイスキーが飲まれ、ウイスキーは大衆的な基盤に支えられて目覚ましい発展の時代を迎えることになる。
現在の世界の主要なウイスキー産地は、上記のスコットランド(イギリス)アイルランド、アメリカ、カナダ、日本の5ヵ国で、原料、製法、風土の違いに由来する独特な香味を競っている。
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by yahooomahalo | 2005-10-27 19:55 | Comments(0)